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清川村の歴史

昭和40年代

昭和40年代の大きな出来事は、なんといっても宮ヶ瀬ダム建設計画の発表です。


清川村の歴史昭和40年代
昭和40年代

都市化の進展に伴い、神奈川県内では将来の水需要の確保が検討されていました。

そして、昭和44年に相模川が第一級河川に指定されたのを契機に、旧建設省(現国土交通省)により宮ヶ瀬地区への多目的ダムの建設が発表されました。


この計画によると、宮ヶ瀬地区はダムの湖底に沈んでしまうため、村内からは大きな反響があり、さまざまな論争も持ち上がりました。 そのため、清川村ではダム対策室を設置し、宮ヶ瀬地区の住民との検討や旧建設省・神奈川県との調整、代替え地の選定、移転補償など、多くの課題に取り組み、ダム着工への足がかりをつくりました。

また、産業面でも新しい取り組みが実施されていました。村域の93%を山林が占めている清川村の特性を考慮し、昭和43年度から第一期山村復興事業に着手しました。 この事業を契機に、それまでは小規模な生産だった緑茶栽培に着目し、生産の拡大がなされ、現在では清川茶として知られる基幹農作物に成長しています。

新しい地域開発も進められました。昭和46年には、南部開発計画がスタートし、3年後の昭和49年に(財)清川村開発公社によって清水ヶ丘住宅団地の造成が開始されました。

昭和48年には、「清川村民憲章」が制定され、村づくりの指針として、また、清川に暮らす人々の共通の「合言葉」として親しまれています。

ゴミ処理場画像 ごみ処理場宮ヶ瀬地区に誕生
(昭和46年)


清川村民憲章

清川村民憲章

緑の山々、国定公園丹沢の美しい大自然にかこまれて住む、
私たち清川村民は、恵まれた環境にふさわしい近代的産業文化の向上と、
豊かな生活をめざして、ここに村民憲章を定めます。

  1. 私たちはたがいにたすけあい、明るい村をつくりましょう。
  2. 私たちは健康に気をつけ、豊かな家庭をつくりましょう。
  3. 私たちは山や川をきれいにし、美しい村をつくりましょう。
  4. 私たちはきまりを守りよい習慣を育て、住みよい村をつくりましょう。
  5. 私たちは教養を深め、文化の高い地域をつくりましょう。

昭和48年10月1日制定

お問い合わせ先 総務課 TEL 046-288-1212

〒243-0195  神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷2216番地 電話046-288-1211(代表)